「現場が仕事をしやすく、力を発揮しやすい仕組みを作る」

こう言われる経営者の方は、数多くいらっしゃいます。仕組みづくりのために、さまざまな施策をされている話もよく聞きます。しかしその想いは、現場の人たちに伝わっているでしょうか。一方通行の片思いに終わってしまってはいないでしょうか。

 

どんな施策を打ち、仕組み作りをしたとしても、それが現場に浸透して、効果を発揮するまでには時間がかかります。それまでの間は、想いを理解してもらうことは難しいでしょう。仕組みが動き出さないまま終わってしまうこともあるのではないでしょうか。

#1:なぜ現場に力を発揮してもらうのか

そもそもなぜ、現場に力を発揮してもらわなくてはいけないのでしょうか。

 

多くの企業は「戦略」を立てています。社長自ら、あるいは管理部門が、さまざまなデータを分析し、立案します。

 

戦略はとても大事です。やみくもに仕事を進めるわけにはいきません。しかし、戦略は実行されない限り何の意味もない。絵に描いた餅に過ぎないのです。

 

では、実行するのはどこなのか。それはもちろん現場です。生産現場、営業現場、サービスの現場、業種によって違いはあるにせよ、実行部隊が現場であることには変わりありません。

 

現場が大切だ、現場に力を発揮してもらいたい、という理由はこれです。戦略を実行することで価値を生み出す場。だからこそ、現場が力を発揮しやすくする必要があるのです。

 

#2:人事こそが最大のメッセージ

仕組みを浸透させるには時間がかかります。しかし、人事は誰もが一目でわかることです。誰をチームリーダーに据えるかで、現場の人たちは経営者が何を考えているのか、敏感に察するものです。

 

たとえば、管理畑出身者ばかりを現場のリーダーに任用していたとしましょう。おそらく現場では、「現場のことを知らない経営者が勝手なことをやっている」と感じてしまいます。ちょっとした行き違いで不信感を持ってしまうかもしれません。

 

そういう事態になると今度は、経営者が「現場は言うことを聞かない」と評価してしまいます。さらに現場の管理強化を進めていってしまいかねないのです。こうした状況では、お互いの信頼関係など生まれようがありません。お客様と常に接している現場だからこそのアイデアもつぶされてしまいます。それどころか、アイデアを出してもう無駄、という風潮になってしまうでしょう。

 

逆に、現場の中からリーダーと選んだとします。もし現場の人から人望が厚い人を抜擢したならば、これ以上に「現場を大切にする」とのメッセージが伝わる方法はないでしょう。間違いなく士気はあがります。取り入れようとしている仕組みの浸透もスピードアップしていくはずです。

 

むろん誰を抜擢するか、人選は重要です。経営者が「使いやすい」との理由で選ぶのであれば、何も変わらないどころか逆効果ですらある。現場の人たちが「この人こそ」と思っている人を選ばなくてはいけません。「人望」が業務と結びついているのか、精査する必要はあるでしょう。そのためには日ごろから現場に足を運び、十分なコミュニケーションを取っておくことも大切になってきます。

 

#3:求められるリーダーシップ

リーダーシップは、先頭に立って組織を引っ張っていくイメージが強いかもしれません。しかしそうしたことが可能なのは、カリスマ性を持った一部のリーダーだけでしょう。一人でできることには限界があります。普通のリーダーに求められるのは、「現場が力を発揮できるようにする」仕組みづくりをしていくことだと思います。

 

そのための第一歩は「どのポジションを誰に任せるか」を決めることです。自分が主役を張るのではなく全体を俯瞰して配役を決めていくプロデューサーのような役割が求められます。

 

時として一つの人事は言葉以上の説得力を持ちます。従来の慣習や規則にとらわれない人事を行うことも必要になる場面もあるのです。

 

現場力が発揮されれば自ずと売り上げは伸びるでしょう。その売り上げを有効に活用し、管理するために、ウランバは力を発揮します。

 

執筆者:取材の学校 ライター 中郡 久雄

昭和40年生まれ。明治大学政治経済学部経済学科卒業。中小企業診断士、和田式陽転エデュケーター、上阪徹のブックライター塾3期生。
新卒で入社した総合建設業(ゼネコン)を皮切りに、宿泊施設の営業職、旅行企画販売、人材派遣業などを経験し、現在は中堅印刷会社の経理担当。基幹システムの再構築や管理会計全般に携わる。モットーは「経理とは経営管理である」。
社外活動では、経営者インタビューを中心に執筆活動に力を入れている。経営者の想いを言葉に変えて、広く伝わるような記事を心掛けている。
最近の趣味は、ライブに行くこと。音楽・芝居は無論、映画もDVDではなく映画館で見るように努めている。